瀬川裕司さんトークショー

2012年11月8日(木) 『シュトロツェクの不思議な旅』上映前
瀬川裕司さんトーク 概略

ヘルツォークは、素人を俳優として使うことを好む監督です。この映画でも何人か、本名で登場している素人がいます。それとは別に、ヘルツォークはクラウス・キンスキーに代表されるような「異常俳優」ともいうべき人たちを好んでいて、本作でシュトロツェク役をつとめているブルーノ・Sもそのひとりです。彼はいわゆるプロの俳優ではなく、街のなかで演奏して小銭をかせぐ「路上音楽家」であり、特に技能はなかったようですが、不定期に工場などでも働いていたようです。生まれたのは1932年のベルリン、ナチが政権を取る一年前ということになります。年齢的には、ヘルツォークよりほぼ10歳上ということですね。お母さんは娼婦だったそうです。お父さんはお客さんのひとりだったとされており、要するに誰なのかわからない。ブルーノ・Sは3歳の時から、知的障害を持つ人々を対象とする施設に入れられ、以後23年間もそこで暮らします。何度か脱走したそうですが、そのたびに連れ戻され、「外の世界」をほとんど知らないまま大きくなったわけです。ナチは、障害を持つような子供たちは〈社会の役に立たない〉ということで抹殺してもよいという方針だったのですが、ブルーノ・Sが入っていた施設は、そういった障害を注射で治癒できないかという実験をしていたところでした。つまり彼は、物心がついたころから施設に幽閉され、わけのわからない注射を打たれながら長い歳月を過ごしたわけです。やがてナチ時代が終わり、26~7歳のころに、彼は「社会に適用可能」という判定を受け、ようやく施設から外の世界に出て、暮らしはじめました。まず彼のドキュメンタリーを撮った人がいて、ヘルツォークはその作品を見てブルーノ・Sという存在を知り、『カスパー・ハウザーの謎』の主演俳優として起用したわけです。カスパー・ハウザーとは、幼年期からずっと狭く暗い場所に幽閉され、言葉すら教えられずに成長し、大人になってからとつぜん外の世界に出された実在の人物です。これはまさに、ブルーノ・Sの人生に重なっている。『シュトロツェクの不思議な旅』の主人公もずっと施設に入っていたとされ、語られる台詞にもブルーノ・Sの魂の叫びがこめられているようです。

いっぽう監督のヘルツォークは1942年生まれ、幼いころに父母が離婚をして、南ドイツの原始共産主義的なコロニーで育ったとされます。そこは電気も通っておらず、水は川から汲み、光は蝋燭に頼り、薪を焚いて調理する、といった環境だったようです。彼は12歳のころ初めて町で映画館というものに入り、「映画を発見した」と言っています。こうした意味では、ヘルツォークの人生にも、『カスパー・ハウザー』や『シュトロツェクの不思議な旅』、そしてブルーノ・Sの過去と重なり合う部分があるのではないでしょうか。
〈ニュー・ジャーマン・シネマ〉を支えていた1940年代の生まれのドイツ人監督たちは、誰もがアメリカに対して強い憧れを持っていました。たとえばヴェンダースが、アメリカでひどい挫折をした経験を『都会のアリス』等で表現していることはよく知られているでしょう。ヘルツォーク自身、学生時代にフルブライトの奨学金を得てピッツバーグの大学に行ったのですが、アメリカの生活は肌に合わないといって、なんと一週間で帰国してしまったといわれています。
ヘルツォークといえば、代表作とされる『フィツカラルド』や『アギーレ 神の怒り』が代表作とされることが多く、誇大妄想を抱いた主人公が〈未開の地〉に乗り込んでいって文明の押しつけ、あるいは逆に自然の驚異にさらされて滅びて行く、主人公が挫折するという〈大きな物語〉の印象が強いかと思います。『シュトロツェクの不思議な旅』は、そういった作品群とは一線を画す作品です。ドイツで行き詰った主人公がアメリカに行く。しかし、そこで彼を待っていた「憧れの国」は、若者たちが夢見たような夢の国ではなく、いかにも薄っぺらい、イメージとしてのアメリカの〈残骸〉、もしくは戯画のようなものでしかない。そのようなアメリカが映画のなかでどのように描かれているか、これからご覧いただきたいと思います。

また、ヘルツォーク映画ではかならず動物が出てきて観客に強い映画を残します。この作品でも、ある動物がショッキングな登場をいたしますので、注意してご覧いただければと思います。さらに、彼の作品では、ほとんどの場合、永久運動を思わせる〈回転運動〉が見られることがよく知られています。この映画でも、終盤で〈回転するもの〉が登場するので、やはりご注目ください。それでは、『ストロチェクの不思議な旅』をお楽しみください。

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