寄稿

巨大なドキュメンタリー山脈

小川プロダクションが解散して20年が経過した。すご腕のスタッフたちが共同生活をしながら長期取材、撮影から製作、上映までのサイクルを全うする独特の映画作法は、同時代の世界の映画シーンから驚嘆されたのみならず、いまなお欧米からアジアまでの後続世代に大きな影響を与えつづけている。アメリカの研究者ノーネスが小川プロを戦後日本のドキュメンタリー映画史のなかに位置づける大部の学術書”Forest of Pressure”(圧殺の森)を刊行するかと思えば、台湾と中国で翻訳出版された小川紳介の語りの記録「映画を穫る」は中華圏のインディペンデント映画作家たちの精神的なバイブルとして読み継がれている、といった具合だ。
小川プロは激動の1968年に結成。成田空港反対闘争をたたかう農民らに伴走する『日本解放戦線 三里塚の夏』をただちに発表し、これを嚆矢として映画史上に屹立する7本の「三里塚」シリーズを連作した。いずれも必見だが、第6作『三里塚 辺田部落』あたりを画期として、村落共同体の古代から現在までを多層的に掘り下げる方法論が萌芽していく。やがて70年代半ばに山形県上山(ルビ:かみのやま)市に拠点を移した小川プロは、稲作と映画製作を並行しておこない、その成果は『ニッポン国古屋敷村』『1000年刻みの日時計 牧野村物語』という80年代の2大作に結実する。これら三里塚と山形に係る諸作を二本柱としたうえで、プロダクション結成以前の『青年の海 四人の通信教育生たち』を観れば、通信制大学生の苦闘に寄り添う小川の資質がストレートに伝わるだろうし、外国人作家による小川プロ論ともいうべき『Devotion-小川紳助と生きた人々』や、第1回山形国際ドキュメンタリー映画祭の会場を小川が走り回っている『映画の都』など、参考上映作品も見逃せない。
『アクト・オブ・キリング』がセンセーションを巻き起こし、震災映画の“やらせ”が問題となり、原一男がセルフドキュメンタリー論のゼミナールを開始している今こそ、小川紳介=小川プロの築き上げた巨大なドキュメンタリー山脈を見直す絶好の機会である。

石坂健治(東京国際映画祭アジア部門ディレクター/日本映画大学教授)